角さんを悼む              
               福谷美那子


 突然、角さんの訃報を受けた。どうしても信じられなかった。電話でなごやかにお話したのはついこの間ではないか、しばらく呆然としていた。いつしか私は涙ぐんでいた。
 しかし、こんなことが突然起きても、何の不思議もないほど私たちは年をとってしまったのだ。
 私が日本随筆家協会へ入会した当時、雑誌「月刊ずいひつ」が送られてくると、なにを置いても開いて、たくさんの作品を読み始めたものだ。多くの作品の中で、私の心を捉えた随筆は角千鶴さんの作品であった。
 聞くところに拠ると、角さんはすでに日本随筆家協会賞を受賞されている随筆家で、お父上が朝日新聞の論説主幹笠信太郎氏であることを知った。筋金入りのお血筋である。
 静かにものを見つめる目、温かい叙情を漂わせながら、ものの本質を見逃してはいない角さんの文体はおみごとである。
「何気なくいい文章」とは、このような文章を指すのであろうか。
 私はいつも読み終わった後、この作者の作品に私自身が憧れに似た感情を持っていることに気づいた。
 折りに触れて、自分のなかにある妙な気負いが気になればなるほど、角さんの文体に滲み出る暖かさや優しさに慰められていった。
 著書『夢を売る店』のなかに電車の窓から見える家について次のようにかかれている。
< 灰色のスレートの屋根に赤茶色の化粧煉瓦の壁、白い木枠の窓には鎧戸がついている一軒の西洋館が飛び込んでくる。>
 やがてこの小さな家は、子供の本専門の店ピーターハウスと分かり、たずねていかれる。
 徐々に種明かしをしながら物語を展開させていくところなど、実に巧みである。
 幸い私は、受賞祝賀会で角さんとお話する機会が持てた。偶然、共にカトリックの学校で学んでいたことを知り、時のたつのも忘れてしまっていた。
 いつのことだったか、角さんはこんなことも言われた。
「私ねぇ、なるべく信仰のことは書かないようにしているのよ。誤解を受けてしまうと困るでしょう」
 さすがに角さんの聡明さに触れて私は、はっと立ち止まった。
 最後の電話は、いつであったか定かではないが、こんなお話をされた。
「福谷さん、私ってこの年齢になるまで、病気らしい病気はしたことがないのよ。でも今回は少し違うの。皆さまから離れてゆっくり養生しなくてはーー」
 私は絶句した。突然電話をかけてしまった軽率が悔やまれ頭の中は混乱してしまっていた。
「お大事になさってね。全快されるのをお祈りしています」
 ここまで言ったのだが、後が続かなかった。
 亡くなられてしまうなんて思ってもみなかった。かえすがえすも残念でならない。
 『ゆうすげの詩』『夢を売る店』、この角さんの御著書を繰りながらご冥福を祈っている。
「角さん! どうぞ安らかにお眠りください。あなたの控えめな叙情が私は恋しいのです。」