鈴虫の悲恋  中村かつ子

 待望の鈴虫の卵が、六月五日にようやく孵化した。暖冬の今年はさぞかし鈴虫の孵化は早いだろうと期待していた。
 その籠には、「平成二十六年六月十日孵化」と張り紙がしてあったので、十日以後は、毎日朝晩、鈴虫の籠の中を覗き砂のようにも見える白い卵の変化を見守った。けれど来る日も来る日も卵は目覚めてくれず、日は過ぎていく。霧吹きが過ぎてふやけて死んでしまったのかしらと、心配になってきた。梅雨の寒い日が続くなか、急に真夏日が二日あった。その翌日、覗き込んだ瞬間、小さな黒いものが跳ねた。まさに鈴虫だ。あ、孵(かえ)った。やはり、生きていたんだ。思わず誰もいない土間で歓声をあげた。

 力尽きて死んだあの鈴虫が産んだ卵だと、昨秋の出来事が走馬灯のように浮かんできた。それは今まで見たことの無かった鈴虫の生きざまだった。
 鈴虫の成長にもばらつきがあり、早いカップルは恋を達成して卵を産み己の使命を果たしていったが、最後に雌二匹、雄二匹となった。
 一組の夫婦は、夕方より、雌にかじられ始めて一晩かけて食い尽くされ羽のみになっていた。雄を食べる様子を目の当たりにして、雌の使命感の強さと小さい顎の強さに驚いた。この雌もしばらくして、卵を産んで死んでしまった。
 十一月の半ば一番奥手の鈴虫の声は澄んで綺麗だ。けれども相手は一匹、それも大きなお腹をした卵を産みそうな雌だ。若い雄はこの年増の雌でも、側にいた方が楽しいのか、しきりに澄んだ鈴の音をふりこぼしラブコールを送る。と、雌はしずしずと近づいてくる。雄はいち早く木の陰に隠れてしまう。しばらくするとまた、リーン! リーン!と響かせる。大きな雌は近づく。雄はまた逃げて木の陰に身を隠す。この動作を繰り返していた。
 雌が近づくと逃げるということは、もう若い相手がいないので、寂しく、憂さ晴らしに年増の相手でもと、からかって遊んでいるかのように見える。うっかり近づけば、それこそ命まで取られてしまうことになるのを知っているのか。それとも可愛い若いのが現れて来るかも知れないと、諦めないでいるのか。若い雄は相変わらず澄んだ声を響かせている。しだいに秋も深まり寒くなってきた。

 やがて追いかけ回していた雌は力尽きたのか、先に死んでしまった。雄はその後鳴かなくなり、雌に食われることなく生き延びて、十二月に入り、一生を閉じた。私は桜紅葉の美しい葉を選び包んで悲恋の主を庭の隅に埋めた。
 そのとき、母の言葉を思い出した。
「男よ、年増の女に手を出すな……」(男よ、年増女には手を出すな、身ぐるみ剥ぎ取られて、財産もなくしてしまう、の意である)
 しかし、またその言葉とは反対に近所のK子さんは夫に急死され、その後、よほど寂しかったのか、一人暮らしをしていた人と恋仲になった。亡きご主人が新しく建て直した風呂場まで解体して男の家に移したりして尽くしたが、甘い生活は長く続かなかった。男は元の女と縒(よ)りを戻し、K子さんは放り出されてしまった。
 人間の男女の複雑な愛の関係を、この鈴虫たちにも垣間見た気がした。
 今年、六月十五日にたくさん孵化した鈴虫は今、しきりに鳴いている。友達にも分けてあげることも出来て、喜ばれている。できれば血族結婚でないことを望んでいるが、相手がなかなか見つからない。
 今年は夏に続き残暑も、とても厳しく身も心も虚ろになってしまった。これからしばらくは、この鈴虫の声に耳を傾けよう。