手 紙

              中井和子

 平成二十九年三月、二十数年前から親交のあったF氏の訃報のはがきが届いた。享年九十六、とある。
 F氏とは、国際交流会で知り合い、家も近くであることがわかり、それから往来するようになった。
 そのF氏は十年ぐらい前に奥様を亡くされ、しばらく独居生活をなさっていたが、九十歳のころだろうか、新しい介護支援施設に入居された。
 私は三度ほど施設にお伺いしたのであったが、そのときはまだ自由に面会ができた。そのうち、施設に入居している人たちの共同の生活時間ができて、自由時間になるのは十六時以降になる、という。
 私は、その事情を知らずに十四時ごろ面会に行ったことがあった。そのときは特別に許可を得て、F氏とお話をして帰って来たのだが、F氏に共同の時間をサボらせてしまったことを申し訳なく思ったのであった。
 そして、十六時以降の面会には、主婦の私には不都合となり、つい、それ以来ご無沙汰になってしまった。

 昨年(平成二十八年)暮れに、亡夫の喪の挨拶状を出すのに、高齢のF氏には、憚られるような気がして、施設の方に電話で相談してみた。『大丈夫ですよ』の返事に、F氏がお元気であることを知り、なにか一言書き添えて送ったのを覚えている。
 そして今年三月、F氏は、多臓器不全で亡くなられ、葬儀は近親者のみにて相営みました、との挨拶状がご子息から届いた。
 私は、もう一度お会いしておきたかったと、無念の気持ちでいっぱいになった。
 そして、私はお悔やみのごあいさつをお送りした。香典返しが届き、その中に、優しい楽器模様のある私宛の角封筒が入っていた。F氏の筆跡であった。
  
 中井様
 一九九一年六月一八日以来二十一年を超えて友情を頂ました。
 あらためて回想し懐かしさでいっぱいです。私の感謝の気持ちを、ことばや文字では表現できません。
 最期の日のサヨウナラのご挨拶(あいさつ)のつもりで、これをしたためました。
       F

 こんにちは
 新しい明日を迎え、静かに今日を昨日へと見送りしていますか?
 遠い、遠い日に、ふとした事で幸せな出会いがありましたね。「年」にしても「月」にしても、数え切れないほどの歳月です。
 いつも、温かい励ましと優しさで支えていただきました。この、その幸せを感謝しています。
 明日を迎えることが出来なくなるときが必ずきます。その前にご挨拶を済ませておかないといけません。そう思って、この手紙がそうです。
< Hidup di dunia Seperti Mimpi >
〔人生は夢の世界のようです。〕インドネシアの諺(ことわざ)です。
 安寧な日日を送れますよう、お祈りして、ごあいさつを終わります。

 追伸 私のように、良き友人に恵まれて、長生きしてください。そして、生き甲斐ある晩年を送ってください。
 いい思い出に恵まれれば、こんな幸せはありません。
       二〇一三年 F 九十二歳

 達筆のしっかりした字でしたためてあった。
 私は胸を突かれ、立ったり、座ったり落ち着かなくなった。
 F氏はお優しいお人柄で、お話が始まると次から次と話題が豊富であった。
 先に亡くなられた奥様はもの静かな方で、東南アジアからの留学生をご夫妻で親しく面倒をみていらっしゃった。
 留学生たちが帰国して、やがて結婚するときなど、F氏はそれらの国々へ招待されて嬉しそうであった。  
 また、私もそのような話を興味深くお聞きしたものである。

 F氏は、私宛のその手紙を投函することなく、遺品の中に残しておかれたものと察しられた。
 私は夫を亡くして半年、まだ心身共に不安定で、自分の意気地のなさに困惑している。
 そう。新しい明日を迎えるために、しっかりと今日を生きよう。私は自分自身を𠮟咤(た)激励するのだった。