堤防の花見
           石川 のり子


 道路からの石段を三十段ほど上ると、利根川の堤防に出る。冷たい風にコートの襟を立てて周囲を見わたす。開けた視界の左手には、茨城県と千葉県を結ぶ栄橋が架かり、右手には満開になった若木の桜が並んでいる。
 そして、いま上った石段の方を振り返ると、私の住んでいる住宅(約九百軒ほど)が広がっている。住宅と道路との間には、五十本ほどの大きな桜の木が横に並び、しなやかに伸ばした枝の先にまで花を咲かせ、淡いピンクの大きなかたまりになっている。見下ろす桜は、いつも見上げている桜と趣がまったく異なる。私は天女になったような気分で、下界ののどかな風景に目を細める。
 私は桜が好きで、開花の季節になると落ち着かない。どこが好きなのか突き詰めて考えたことはないが、テレビで日本列島の桜中継を見ると、列車に飛び乗って見に行きたくなる。
 しかし最近は、わざわざ出かけなくても、堤防の桜を見て歩くだけで満足している。
 桜は見ごろの期間が短いので、ぼんやり犬の後を追うだけの散歩はできない。桜が八部咲きほどになると、友人と誘い合って、多少冷たい風が吹いても厚着をして、軽い食べ物や飲み物まで用意して集合する。花の下で飲んだり食べたり、写真を撮ったり、おしゃべりするのが楽しいのである。
 眼下では、車で運んできた椅子やテーブルをおろし、寛いでいる子ども連れの家族が見える。冷たい川風は堤防が防いでくれているのだろう。敷きつめられた花びらの絨緞に寝そべっている子ども達もいる。
 うっとりとながめていると、退屈したモモが後ろ足で立ち、私の手を口でくわえて催促する。
「あらっ、モモ、ごめんなさい。すっかり忘れていたわ」
 私は周囲を見わたして人影のないのを確かめてから、鎖を外してやる。モモは走って舗装わきの桜の下の草むらへ向かう。ここには、ソメイヨシノが五メートルほどの間隔で、二列に並んで延々と続いている。まだ下草も五センチほどの丈で、モモが走り回るには都合がいい。
 若木は、私の背丈の二倍には育っている。天に向かって両手を広げたように伸ばしている枝には、花がいっぱいついている。
 モモを追って木の間に入り、一本一本眺める。花粉症でマスクをしているので、匂いをかぐことは出来ないが、つぼみ、五部咲き、八部咲き、満開とそれぞれを愛でる。その花越しに空を仰ぐと、桜曇りの空と淡い花と私とが一体になったような感覚になる。

 ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ

 西行のように身も心も桜に捧げているわけではないが、桜に包み込まれるような安らぎは、他の花には感じられない。このまま天に召されたら幸せだろうなと思えるほどだ。
 しかし、そんなロマンチックな気分も、喜んで駆けまわるモモの勢いで、現実に引き戻される。モモの姿を追って前方に目を向けると、同じ太さの幹が左右に行儀よくずっと奥まで並んでいる。まるで、若い女性の勢揃いしたラインダンスのように見える。若木は二百本ほどあるという。
 ユニークなのは木の一本ずつにオーナーがいることである。木に取り付けられたカードには、オーナーの思いが書いてある。植樹は平成十七年。字は風雨に曝されて読みにくくなっているものの、読めるものは立ち止まって目をとおす。
 木が根を張り大木になった暁には、散った花びらが利根川の川面をゆったりと流れてほしいと願ったカードもあった。何枚か紹介しよう。

「大地に根を張り、美しく心豊かに成長することを祈る」
「春うらら 利根の川面に 花ふぶき」
「晴れやかな笑顔 行き交う並木道 咲く春に幸せが来る」
「私達の故郷の桜の木を いつまでも愛してください」

 孫の誕生を祝う祖父や、父親に感謝する子や、子のすこやかな成長を願う親の気持ちが込められているものもあった。

「初孫誕生 すこやかに育て ○○」
「お父さんありがとう 毎年一緒に桜が見られますように」
 また、個人ではなく趣味の会、老人会、幼稚園など団体がオーナーになっている桜もある。

「明るく元気にたくましく○○っ子大きく育て ○○幼稚園」
「寿山ノ鶴千年樹ニ宿リ福海ノ亀万歳台ニ游ブ」
「喜べば 喜びが 喜びを はこびくる」

 平和な町の縮図のようで、なかなか味がある。立ち止まっている私の足元で、遊びつかれたモモは前足をそろえてお座りをしている。
「さあ、帰ろうね」

 真夏のような暑い日があって、昨年より十五日も早くソメイヨシノが開花したと報じられてから、気温の低い日が続き、冷たい風雨にもさらされて、桜の色香は失われたが、驚くほどの寿命で花びらを枝に留めている。
 淡いピンク色から濃い紅色に変わった桜を見ながら、平安時代の絶世の美人であると言われた小野小町の歌を思い出した。 

 花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに

 多少は意味あいが違っても、八部咲きから満開になるまでのいちばん美しい桜花を見てきた私には、雨に濡れそぼって緑の小さな葉に美を譲る姿が痛ましくてならない。ちなみに、家族でやるお正月の百人一首では、真っ先にとる一枚である。
 風流を解さない私だが、いつ咲くのかと待ち、開花すれば満開はいつかと心にかけ、天気予報を見て、散らずにいてほしいと願う。桜に心を奪われるこの季節は、大げさに言えば、まさに在原業平の心境である。

 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし