取り残された犬 
            中井和子

 2014年の2月8日から数日間、日本列島は、四十五年ぶりという記録的な大雪に見舞われた。
 幹線道路は麻痺(ひ)し、物流は停滞した。車両の列が三日も同じ場所で立ち往生しているようすがニュースになった。エアコンはどれだけもつだろう。病人が出なければよいがと、私は老婆心ながら心配して見ていた。
 そのうち、道路上に立ち往生している車列の中のトラックの運転手が、荷台から食料品を取り出して、車列の人たちへ配っているようすが映った。食料品の荷主と、トラック運転手の機転と配慮なのであろうか。受け取った車列の人たちの気持ちも、いっとき、ゆるりとなったと思われる。
 福島地方のニュースでは、国道沿いの民家の主婦たちが、三年前の震災時に受けた援助へのお礼の気持ちから、渋滞で動けないでいる車中の人たちへ、おにぎりを差し入れたり、トイレを貸したりしていた、という。
 それらのニュースを見て、私は、助け合い精神のある日本人でよかった、と思った。
 福島市内の積雪は41センチになり、除雪が間に合わず、通行止めになった路線も多かった。
 そして、私は『この雪の中で、あの犬はどうしているかしら?』と、数日前にテレビで放映された柴犬を思い出していた。
 その犬は、福島市から車で一時間の山間にある飯館村の農家に飼われていた。
 原発事故で全村避難となって、もう、三年にもなろうとしているのに、事故現場から30キロ離れている飯館村はいまだに居住制限区域になっている。家に入ることはできても、宿泊はできない。
 また、避難先に動物は連れて行けない規則になっていて、村内には百匹以上の犬が残されているそうだ。それらの犬の飼い主に依頼された動物愛護センターの人たちが、繋がれたままでいる犬たちへ、ドッグフードを配っているようすが映った。
 そのほか、他県の動物愛護センターへ避難した犬たちも多くいるらしい。
 私が気になった件(くだん)の柴犬は、その村の農家に飼われていた。
 その農家の玄関前はトタン板の庇(ひさし)が長く張り出していて、端の方には車庫代わりに農機具が収まっている。その庇の支えにもなっている太い柱に、犬は鎖で繋がれていた。傍らには大きな犬小屋があり、中には、寒さを凌げるように、何枚ものふとんが無造作に積まれていた。
 飼い主は、六十歳半ば過ぎのご夫婦で、福島市の仮設住宅に避難されている。壁には、別居しているご子息たちの写真のほかに愛犬の写真も貼ってあり、毎日、写真に向かって声をかけているのだと、ご夫婦は微笑まれた。
 そして、福島市から、車で一時間の道程を週に二度、餌を与えに通っている、と話された。
 テレビ放映のその日は奥さんが一人、餌を与えに村へ出向いたのであった。
 ユウスケと名づけられた柴犬は、おかあさんの顔を見ると、嬉しさのあまり、飛び上がったり、頭をすりつけたりと、どうしてよいかわからない風だ。
 おかあさんもユウスケを抱きかかえて、頬ずりをしながら話しかける。
「ほうら、煮物を作ってきたよ、さあ、冷めないうちに食べるんだよ」
 おかあさんは大きな丼にいっぱいの煮物をユウスケの前に置いた。丼から湯気が上がっていた。ユウスケは飢えていたようにがつがつと頬張った。
 おかあさんは、そんなユウスケを眺めながら、傍らに転がっている空の大きな容器のボウルに、また、何日分かのドッグフードを入れたのであった。しかし、来るたびにボウルいっぱいの餌は空になっているのにユウスケは痩せていく。おかあさんは首を傾げた。留守の間に、いったい何が起きているのであろうか。
 テレビ局の人たちが観察のためのカメラを設置した。犯人はネズミであった。毎夜、幾つものネズミの親子のグループが、それぞれに入れ替わり立ち代わり、ユウスケの餌をかじりにきていたのである。
 もう一つのボウルには飲み水を入れて置いたのだが、寒さで凍り付いてしまっていて、犬が舐めた部分だけが小さく、丸く凹んでいるのであった。
 おかあさんは、
「これでは、なあ……」
 と、ため息をついた。
 おかあさんが帰る時間になり、
「また来るから、元気にしているんだよ」
 と、ユウスケに声をかけたが、ユウスケの姿が見えない。別れの時間を察して、すねて物陰に隠れているのだろうか。
 おかあさんはかまわず、気ぜわしく車に乗るとエンジンをかけた。ユウスケは慌てて飛び出してくるとけんめいに叫ぶように吠(ほ)えた。車は家を後にして私道から公道へ向かっていた。ユウスケの空を仰いでの悲しみと諦めの咆(ほう)こうが、私の耳の底に響いた。

 この大雪で、村への道も通行止めになっている。
 私は、窓の外の白銀の世界を眺めながら、ユウスケのおかあさんも雪空を仰ぎ、気がもめていることであろう。ユウスケも周囲を雪に覆われて、途方にくれていることであろう。
 そして私は、家族同様のペットたちもいっしょに避難する方法はなかったのだろうかと、いまさらどうにもならないことを考えていた。
 そして私の耳にいまだ残っている、あのユウスケの絶叫のような咆こうが聞こえてくるのであった。
 その飯館村は、日本の国の中でも美しい村と称されていた土地柄であった。
 一日も早い復興を願うばかりだ。