歳を重ねる
           羽田竹美 

 シルバーエイジといわれる年齢の人たちが集まると、必ずといってよいほどあちらが痛い、こちらがおかしい、という話になる。中にはまるで病気で通院しているのが自慢のように話す人もいる。そして最後には、「歳は取りたくないわねぇ」で終わる。昔はよかった、今の若い人は・・・と、ぐちもでる。
 そんな話を聞きながら、私は自分の生きてきた道を振り返る。小さいころからずっと自分を認めてもらいたくてあがいてきた。友達や家族の中で、自分の話をし始めてもいつのまにか別の人が話し出して、私の話は途中で終わる。そんなときには、自己嫌悪に陥り、おしゃべりしなければよかったと後悔するのだった。
 家族の中では大声で騒いだりしたが、後でわびしさだけが残った。
 学生時代は上手に自己主張している人が羨ましかった。ノートや日記帳にダメな自分を責める詩を書いたり、孤独の中に浸りこんで、自分はいったいどんな人間なのだろうかとわからなくなったりした。まわりの人が私をバカにしているのではないかと、被害妄想に悩んだ時期もあり、若いときは失敗の連続だったように思う。
 しかし、自分を認めてもらいたいと欲した私を認めてくれた夫に出会って少しずつ変わっていった。失敗が体験となり、少しずつ成長していったのだろう。
 先日読んだ本に興味をひくものがあった。京都のお寺の教訓に、
「わらわれて わらわれて 偉くなる
 叱られて 叱られて かしこくなる
 叩かれて 叩かれて 強くなる」
 と、書かれている紙があるという。私の若いころはまさにこれであった。今思い出しても恥ずかしくて身の縮む思いがする。私たち夫婦が二歳の長男を連れて姑の実家である長野に行ったときの話である。私は夫の嫁であるので、かいがいしく手伝わなければならないのにそれが出来なかった。田舎の風習がわからない、なにを手伝ったらよいかわからない、ただのお客様であった。
 着いたその晩はたいそうなご馳走で、長男は食べ過ぎたらしく寝るころになってゲーゲー吐いてしまった。お風呂場でバスタオルなど汚したものを汚物だけ流して、明日の朝洗おうとバケツにつけておいた。長男の様子が心配だったからであった。
 翌朝目が覚めると、朝の早い田舎はもうほとんどの人が起きて仕事をしていた。あわてて身支度をしてお風呂場に行ってみると、長男が汚したものはみんなきれいに洗濯されて干してあった。私はうろたえた。小さくなって姑の実家のお嫁さんにお詫びとお礼を言ったが、さぞ呆れられたことだろう。
 若いときには何も満足にできないのにそれを他人に悟られないように肩に力を入れて生きていたように思う。それでも、夫が何も言わず、私をかばってくれたのがせめてもの救いであった。
 児童文学を書いていたころも、幼い次男をベビーホテルにあずけて、編集者と打ち合わせに行ったが、世間知らずの私はずいぶん意地悪もされた。あの当時、男社会であったこの世界をうまく渡れなくて、苦労もした。叱られるのも度々だった。
 心を傷つけられて大きく落ち込み何日も立ち上がれない日が続いたが、何度も体験するうちに何かを掴んで起き上がるコツをおぼえた。
 夫の闘病の苦労は私の人生に忍耐と強さを培った。あのときは足が痛いのによくあそこまで出来たと思えるほど気が張っていて自分の力を100パーセント以上出していたようだ。夫が亡くなる少し前にしみじみと、
「竹美はしっかりしたね。もう一人で生きていかれるね」
 と、言った。
「そんなことない、あなたがいなければ生きていけない!」
 と叫んだが、夫が亡くなった後、中学三年生の次男のために必死で生きてこられた。寂しいなんて泣いていられなかった。
 人間、生きる目標があれば、どんな辛い境遇に置かれても生きられるものだとつくづく思う。苦労すればするほど強くなれる。
 気がついたら私は自分を認めてもらいたくてあがいていた自分ではなくなっていた。むしろ人に認められるより、ひっそりと誰にも知られることなく人のために役に立てる人間になりたいと、変わってきていた。認めてもらいたくてあがいていたころに比べると、今、何と心が穏やかになっているのだろう。
 私の話を聞いてくれる人がたくさんになった。人の話を聴ける耳を持てるようになったのもうれしい。
 老齢になって体力も落ち、あちこちから悲鳴がきこえる体になったが、歩いてきた人生に苦労というものがあったから今の自分があるような気がする。
 歳を重ねるのは決して悪いものではない。まだまだ未熟な私だが、これから最終章に向けて歳を重ね、「わらわれて、叱られて、叩かれて」さらなる成熟への道を辿っていかれたら、これもまたよしである。