衝立(ついたて)
                  石川のり子
 数年前、飼い猫が上紙を爪で引っ掻いて下地の見えていた衝立を、このたび草茅舎(そうぼうしゃ)に依頼して張り替えた。横七十五センチ縦六十センチほどの長方形に足のついた小ぶりのものであるが、しっかりと作ってある。
 説明によると、下地の骨の上に骨縛り紙を貼り、みの掛け三辺、みの縛り、浮け掛け二辺の七層仕上げとのこと、よく分からないが、和紙が七枚貼ってあるということらしい。両面だから手間がかかっている。
 表面の本紙は、雲母を入れて光沢をつけた土器(かわらけ)色に染められ、中央に貼った茶色の古い紙の文字が沈んでしまわないように、金砂子が下の部分に散らしてある。
 頼んで貼ってもらった文字は掛け軸から切り取った徳川家康の遺訓である。半世紀も前に、何かの記念で、義父が岡崎市からいただいたものである。印刷らしく変体仮名の文字には虫食いの痕(あと)まである。
 夫は徳川家康が好きで、よくこの軸を床の間に掛けた。まだ娘たちが小学生のころは、二人を正座させて読み聞かせたこともあった。

 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
 急ぐべからず 
 不自由を常と思へば不足なし 
 心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし 
 堪忍は無事長久の基 
 怒りは敵とおもへ 
 勝ことばかり知りて敗くることを知らざれば害其の身にいたる 
 おのれを責めて人をせむるな 
 及ばざるは過ぎたるよりまされり

 粘り強い家康の精神を、織田信長、豊臣秀吉と比べて語っていたが、子どもには難しすぎた。叱られたときのように、神妙にしていた。
「よぉーし、これで終わりだ。わかったね」
 二つのおかっぱ頭が同時にうなずき、「遊びに行ってもいい?」と顔を輝かせた。夫は「行っておいで」と苦笑していた。遺訓を見ていると、在りし日の一こまが浮かんでくる。
 もう一方の面は若草色に染めてあり、扇面がバランスよく配置されている。表千家の茶道の先生からいただいた扇子を解体し、裏打ちをして貼ってもらった。
 家元の歴代の花押集、十三代家元の書かれた「清友」の文字、利休百首が二面、私の干支の未(ひつじ)もあって、五枚である。
 八畳間の和室が衝立の置く位置によって、六畳にも四畳半にも見立てることができるので重宝している。

     

 私が草茅舎を知ったのは、昨年の十一月で、「和紙のはたきを作る」というワークショップに参加したことによる。閉校になった小学校で開催された「臨時現代美術館」では、開催されていた十五日間毎日イベントが企画されたが、私は「和紙のはたき」に郷愁を感じて迷わず申し込んだ。子どものころ、わが家では手作りの和紙のはたきを使っていたからだ。 
 大学で日本画を学んだ草茅舎のメンバー四人は、高齢の私から見ればイケメンの若者たちである。日本画の制作や裏打ち、屏風(びょうぶ)の下貼りの際に出る細長い切れ端を、たくさん持って来られた。余り物といっても、もう一度漉(す)き返せば和紙にできる貴重な切れ端である。五十センチほどの竹の棒も用意してあって、中には曲がったものもあったが、これが使いやすかった。
 棒の先にまとめて縛った三十センチほどの和紙の房は、ぬくもりがあって丸めて伸ばしても破れず、水にさえ注意をすれば、きれいにほこりを払ってくれた。欲張って大中小と三本も作ったが、それぞれ用途がある。いちばん小さいのは人形のほこりを払い、大きいのは和室の障子や床の間などに、もう一本はリビングの棚やテレビ台のほこりを払っている。

 四月初め、書道が専門の元教師とワークショップに参加した同年代の女性三人に、この衝立を披露した。家康の遺訓が目的だったので、読みにくい文字を解読して、家康の強い精神力を知ることができた。 今の私たちには、「不自由を常とおもえば不足なし」などという発想はなく、自然を破壊してまでも便利な暮らしを望んできた。
 しかし、三月十一日に起きた東日本大震災は、便利な生活に大きなダメージを与え、信じられないほど多くの命を奪った。 テレビに放映される被災地を目にするたびに、居ても立っても居られない気持ちにさせられる。
「私たちにできることを、積極的にやりましょうね」
 考えることはみな同じである。
 この茨城県南部の地も大きく揺れ、屋根瓦の落下や地割れなどの被害をもたらした。停電と断水を体験し、頻繁に起きる余震におびえ、気持ちは沈みこんでいる。気分転換をしないと建設的な考えは浮かんでこない。
 私は、せっかく集まったのだからと、炉に釜をかけ、湯を沸かした。おみやげの和菓子を五人でいただき、薄茶と濃茶を味わった。
 ささやかな贅沢な時間が、すっかり気持ちを和ませてくれていた。

  


(「文箱」に「臨時現代美術館」の写真があります)