ツキミソウ   

                羽田竹美

 ツキミソウという植物の名は有名で知っている人は多いが、本当のツキミソウを知っている人は少ない。何かナゾカケのようであるが、夏の夕方、ぽっかりと黄色い花を咲かせるツキミソウと呼ばれている花は、実はツキミソウではないのである。メマツヨイグサやオオマツヨイグサがツキミソウの名で世に知られている。
 太宰治が『富岳百景』の中で、
「富士には月見草がよく似合う」
 という文章を書いた。これはオオマツヨイグサのことであろうと言われている。御坂峠にはオオマツヨイグサがたくさん茂っており、夏の夕方になると、花が次々と咲く。夕富士に黄色の花が映えて美しかったのだろう。
 この『富岳百景』の文章からも、
「富士にはオオマツヨイグサがよく似合う」
 では興ざめであろう。
 竹下夢二が、一九一二年の六月に、
「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ……」
 と、恋の儚さを歌った歌を発表しているが、これもオオマツヨイグサあるいはメマツヨイグサだったのだろうと言われている。
 夢二は待宵草(マツヨイグサ)を宵待草(ヨイマチグサ)と書き間違えてしまったらしい。後で気づいて慌てて書き直そうとしたが、もうすでに一般にこの名が知られてしまっていたため、やむなくそのままにしたのだという。待宵草より宵待草の方が失恋の悲しさが伝わり、ロマンチシズムに浸りこめるのではないだろうか。
 まさに、詩や文学に取り上げられたマツヨイグサは月見草になり、宵待草となって世に知られていった。
 私の結婚したときに住んだ家の庭にはオオマツヨイグサがたくさん生えていた。夕方になると、ふくらんだつぼみがはらりとほぐれていく、目で楽しむ料理が好きな夫のために、今夜咲きそうなつぼみをたくさん摘んできた。葉ランを底に敷いたガラス鉢に氷を浮かべた水を注ぎ、奴豆腐と卵豆腐を入れる。金銀豆腐である。まだかたいつぼみをそのまわりに飾って、夫の帰宅を待った。
 帰ってきた夫が食卓につくころつぼみは水を吸って少しずつほどけていく。涼しい夕餉の中で黄色い花がガラス器にいっぱいになり、花をよけながら金銀豆腐をすくって食べた。
「料理とは味はもちろんだが目で楽しんで味わうものである」という夫の持論はオオマツヨイグサだけでなく他の庭の草花でも活用させてもらった。
 そして、このオオマツヨイグサも私たちはもちろん「月見草」と呼んでいた。
 夫の愛した花であり、私も俳句に詠んだ花である。
   そこだけが薄明りなる月見草
 その二か月後、私たちは本物のツキミソウという花にめぐり合ったのである。夫の仲良しの小学校教師であったFさんに赤ちゃんが生まれたと聞いて、私たちはお祝いに伺ったのであった。
 草花がお好きなご夫婦らしく庭にはいろいろな花が植えられていた。その中に白いツキミソウがあったのだ。ツキミソウというものは黄色の花と思い込んでいた私には意外なことであった。
 Fさんのお話によると、これが本当のツキミソウだという。観賞用として渡来したのだが、適応性が弱かったので日本に根付かなかった。白い花はどの種類のものも弱く、大事にしないと消えてしまう確率が高い。このツキミソウはマツヨイグサと同じアカバナ科の植物であるが生き残るのが難しかったのだろう。
 そんな珍しいツキミソウをFさんは一株分けてくださった。大切に持ち帰って庭に植えたが、三年で絶えてしまった。庭ではなく植木鉢に植えて大事にすればよかった、と後悔が残った。ツキミソウは幻の花となり、いつしか夫の思い出と共に消えてしまった。
 それが今年の五月、偶然復活したのである。私が教えている文章教室の受講生であるYさんが「白いツキミソウです」と言って苗をもってきてくれたのである。
 これこそ本当のツキミソウ、若いころFさんからいただいたあのツキミソウだ、と喜んだのだが、はたと、喜びが止まった。
 いつも読んでいる園芸カタログ本に「姫月見草」と称するものが載っていた。「白花月見草、黄花月見草、桃花月見草の三点セット」である。しかも、それは昼咲き種とある。道路わきに咲いている「桃色の月見草」もこれである。桃色の物は繁殖力が旺盛で、野生化しているらしい。
 いただきものも、私の求めるものでなかったら喜びは半減する。そこで、すぐYさんに電話して確かめた。
「少しお時間をください。いただいた人に電話して確かめてみます」
 という返事だった。そして待つこと一時間、いや、もっと短かったかもしれないが、私にはもっと長く感じられた。
「あれは信州の友達からもらった花で私の家の庭に増えているものです。昼咲きかどうか、確かでなかったので問い合わせましたら夕方咲く白いツキミソウだと言っていました」
 これこそ幻のツキミソウだったのだ。昔の思い出が跳びはねるように心に湧いてきて、夏の夕暮れが待ち遠しくなった。