宇宙の旅
                
山内美恵子

 この夏、ひさびさに心をゆり動かされる旅をした。それは、目から鱗が落ちる忘れ難い体験であった。これまで深く知ることのなかった未知なる世界は、ひとつひとつが驚きと感動だった。壮大な宇宙の不思議さや天体の美しさに触れ、あらためてその魅力にとりつかれたからである。
 
 夕暮れ時、一時間ほどのウォーキングを日課にしている。だが、今年の夏の東京は、九月中旬まで猛暑が続き、散策を兼ねた吟行とウォーキングを控えてきた。
 夏休み気分とはいえ、二か月も休んでいると外の空気が恋しくなった。家の中の小さな宇宙だけでは圧迫感を感じ落ち着かない。運動不足も気にかかった。体力の衰えを危惧し、ストレッチ運動を始めることにした。これまで休んでいた分も取り戻そうと、老骨を省みずむきになる。すると、翌朝激しい頭痛に襲われ、首、肩、背中が動かず、寝返りさえもできない羽目に陥った。
 毎日、天井のみを見て過ごす虚(むな)しさの中で、ふと私の心がうごめいた。それは、本による宇宙の旅をすることだった。
 私がウォーキングに出る時間は、外は夜のとばりにつつまれる。特に冬場は、周りの風景も見えず、歩いている人も少ない。そんな闇夜のなかの私を慰めてくれるのは、夜空であった。とりわけ、見上げた空の高みに煌々(こうこう)と輝く月や星が顔をのぞかせると、足取りも軽くおしゃべりが弾む。月や星とのおしゃべりは、幼かった頃の感覚や記憶をよみがえらせた。「星や月は、どのようにして生まれたのだろうか……」。夜空を見上げるたびに、その頃と同じような宇宙の果てしない不思議が、脳裡を駆けめぐった。
 文学の世界しか知らない私にとって、宇宙科学や天体科学は異分野のため、これまでそれらの本に深く触れることはなかった。当然知識も乏しく、それも断片的でしかなかった。
 息子が小学校に入学して間もなくだった。夫は何を思ったのか、息子に天体望遠鏡と顕微鏡を与えた。それらは、息子の旺盛な好奇心を掻き立て、たちまち虜(とりこ)にした。学校から帰ると飽くことなく顕微鏡をのぞき夜空をながめた。高学年になると「理科教室」に通い、大人の「科学雑誌」を購読した。私にもいろいろな知識を教えてくれた。私も興味をそそられ夜空を観察した。
 しかし、私の知識は小学校程度でしかなかった。猛暑こそ天の配剤とばかりに、一念発起し宇宙の歴史から学びなおすことにした。物理学や論理的思考に長け、宇宙論に精通している友人から、世界の第一線で活躍している優秀な物理学者のお名前や、著書を伺っていたのは僥倖(ぎょうこう)だった。
 近年は、宇宙飛行士の活躍もあってか、宇宙への関心が高まっている。新聞やテレビも宇宙の番組に力を入れはじめた。「宇宙の渚」「宇宙未知への大紀行」「ホーキング宇宙を語る」など、この夏のテレビ番組は私を釘付けにした。それらも、私の心にはずみをつけた。
 何冊かの本を買い込む。そして、二か所の図書館の宇宙科学と天文科学の本を読みあさった。最初の「宇宙論」と向き合った時は、精神を緊張させた。しかしそれは、杞憂でしかなかった。宇宙の創生から最新の宇宙研究、未来の宇宙論、天文学に至るまで数多(あまた)の本を読んだが、疲労感に襲われることはなかった。
 むしろ、読めば読むほど、まるで宇宙を旅しているかのような、充足感にみたされた。宇宙の歴史や、不思議さ奥の深さ、天体の美しさをあらためて知り、激しく心をゆさぶられる。もちろん、私のような愚か者でも理解できたのは、優秀な研究者たちの筆力に負うところが大きい。どの本も写真や図解、イラスト等を用い、難解な相対論や量子論も大変わかりやすく述べられていたからだ。特に第一人者たちの『講演録』は、広大な宇宙論にもかかわらず、短くわかりやすく実に見事にまとめられていて感嘆した。

 いま、宇宙の謎は、世界の物理学者や天文科学者たちによって、科学的に解き明かされていた。とりわけ「ハッブル宇宙望遠鏡」の素晴らしさとその活躍には、驚嘆せずにはいられなかった。それは、肉眼で見える天体の、十億倍以上を観ることができる高性能を持つ。そのおかげで、これまで見ることの出来なかった宇宙の果てまでの観測が可能となり、謎の多かった宇宙が驚くほど解明される。
 宇宙は無から生まれ、ごく小さなひとつが何らかの原因で消えず、成長したのが宇宙であるという。最新の観測結果から宇宙の誕生は、百三十七億年前と推定されている。ビックバンによって誕生した宇宙は、その燃焼のいきおいにのって、いまも膨張を続けその速度が速くなっているそうだ。それらを銀河の観測を通して宇宙が膨張していることを発見し、「ビックバン」理論への道を開いたのがアメリカの天文学者、エドウィン・ハッブルであった。1929年それまでの宇宙論を大きく覆し、世界中の物理学者たちを驚かせた。
 しかし、宇宙の謎は新しい発見があると、それに倍する新たな謎が生まれるという。ビックバンから百三十億年。「宇宙は今後どのように進化をするのだろうか、宇宙に終わりはあるのだろうか……」、私の心も高ぶり疑問は尽きない。深く学ぶほど、広大で奥が深く複雑な宇宙は謎の宝庫であり、宇宙はやはり遠かった。

 宇宙の創生をはじめ奥深さを知るにつれ、太陽や月、星などの天文学の歴史をも知りたくなった。世界の文明は、月や星と共に発達してきたからだ。曜日の名前は七つの星の数をとったものである。古典にも月や星の美しさを詠んだ和歌や俳句は多い。清少納言は『枕草子』に、「美しきもの星はすばる」と述べ、吉田兼好も『徒然草』に、「秋の月は限りなくめでたきもの」と記している。西行は、花と月を詠んで飽くことを知らなかった。
 古代の日本では、七夕と並んでお月見が盛んに行われた。電燈もなかった古代人にとって、月や星に寄せる思いは、現代人とは比べものにならないものがあったにちがいない。しかし、現代の都会では、大気の汚れと人工の明かりにはばまれ、満天の星空を楽しめる場所は多くない。私が住む地も星ぼしの競演は望めない。それでも晴れた日や雨が降ったあとなどには、いつもよりも多い星ぼしが顔を出し、ウォーキングをする私を楽しませてくれる。
 冬の足音が聞こえてくると、星の瞬きが大きくなり楽しみが増える。冬の星の王者と言われるオリオン座の、行儀よく並ぶ三ツ星や小三ツ星を探しながら歩く。しかし驚くなかれ、キラキラと輝く星の瞬きが、天文学者を泣かせるというのである。
「遠い世界からはるばる旅をしてきた星は、地球の大気を通過して地上に達するまでに、空気の揺らぎのため方向が絶えず乱されふらつき、正しい観測が出来ない」
 元国立天文台長の海部宣男氏は、ある著書の中で述べる。大気の汚れや空気の揺らぎの少ない、ハワイ島のマウナケア山頂が、天文学者たちのメッカになっているのはそのためであった。正確な観測ができるからだ。日本でも十年の歳月をかけて、世界一の性能を誇る世界最大の望遠鏡「すばる」を建設したことは、記憶にあたらしい。「すばる」の名は、応募の中から選ばれたという。
 すばるは、1999年より新世代望遠鏡として活躍をつづけ、私たちに本物の宇宙の姿を見せてくれている。すばるがとらえた美しい星ぼしや星雲、銀河、惑星などの色彩豊かで鮮やかな写真は、いくら見ても見飽きることがない。海部宣男氏は、「はるか遠い天体を見ることは、それだけ遠い過去を見ることである」と言う。
 しかし、私たちが目にする銀河や星は、宇宙のほんの一部であり全体の四・四%でしかなく、残りは目に見えないそうだ。このことがわかったのは2003年であった。天体同様宇宙も遠くをみることは、宇宙のはじまりを見ることなのであろう。科学技術や通信技術の進歩により、これまで見ることの出来なかった宇宙が見えてきた。そのため増えてきた謎も多くなり、研究者たちが日夜その謎の解明に心血を注ぐ姿を知り、頭を垂れずにはいられなかった。

 私がウォーキングをする場所は、家から歩いて十分ほどの市の運動公園である。グランドの周りは、季節の花々が咲き乱れる遊歩道となっている。ここで私は、有酸素運動をしながらひたすら歩く。
 その日は、旧暦の九月十三日にあたり「十三夜」の月であった。公園には、柔らかい月の光が静かにみちていた。古代からこの月は、「後の月」「豆名月」「栗名月」とも呼ばれ、仲秋の名月を見て十三夜の月を見ないのは、縁起が悪いとされた。満月に二日ほど早い月だが、それに劣らず明(さや)かで優美であった。
 さやかに輝く月と向き合っていると、あまりの美しさに魂まで吸いとられそうな錯覚を覚えた。畏れを抱きつつ空の高みの「十三夜」の月をつくづくと眺めた。そして、月の中にあるという「宮殿」「月の都」「月宮殿」なる風雅なことばを思い出し、古代人の美的感性の豊かさと、天に翔(か)けた人たちに思いを馳せた。
 空の高みにくっきりと浮かぶ大いなる月は、人間の存在の小ささを教えてくれる。宇宙の芥でしかない私が尊いいのちを与えられ、今日も生かされ月明かりに照らされ歩いている。そう思うとひざまずき手を合わせたいような、謙虚な心持につつまれる。
 宇宙は私たちの生命はもちろん、森羅万象すべてのものとつながっていることを実感し、より身近に感じられるようになった。まだまだ小さな学びであったが、宇宙の歴史や天文学は、私の胸の奥のロマンをかきたて、遠い宇宙を旅しているような至福の日々を恵み、心忙しい日常を束の間忘れさせてくれた。
「ビックバン以来、宇宙に存在する最も豊かな存在は、人間と信じています」
 インフレーション宇宙論の創始者であり、「宇宙論」研究者の世界権威でもある、佐藤勝彦氏はある著書のなかで述べる。心に残った一行だった。氏の著書はおしなべて解かりやすく、黄昏を迎えた私の心を大きく動かし、人生の景色を変えてくれた。異分野にもかかわらず、数多(あまた)の著書を繰り返し読むことができたのは、他ならぬ氏の巧みな筆力と高潔な人格に惹かれたからである。
 月明かりに遠慮したのか、星がほのかな光りを放っていた。星にも人間のように寿命があり、誕生時と老年時は、ドラマチックで華やかな姿を演出してみせるという。特に、寿命が尽きるころの星は赤く光り「赤色巨星」と呼ばれ、青白く輝いていた時期からは、想像できない美しさであることを知る。
「豊かな存在である」人間も、願わくは星のような終焉をと思わずにはおれない。「身も心も高く持し、人生を美しく豊かに紡げば、その終焉もまた美しい」、そう身をもって教えてくれたのはある知人であった。人は自分の終焉は自ら創造しなければならない。星のような美しい終焉など遠く及ばぬ願いだが、せめて悔いのないよう、「今というひとときを精一杯耕して生きよう――」そう胸に刻む。いつの日か必ず訪れる人生の卒業式も、深い悲しみではなくきっと清々しいものになるにちがいないからである。
 
 この夏のゆくりなき宇宙の旅は、猛暑の贈り物であった。生涯、私の胸の奥で星のごとく煌(きら)めいているにちがいない。