美しい鳥を見つめて
                   福谷美那子

 私は翡翠を見た。ほんの一瞬のできごとなのだが、夢のような出合いであった。
 横浜市戸塚区の舞岡公園を歌友の小林さんと、歩いていたときのこと、
「ほら、翡翠よ」
 彼女の高い声に、指さす方へ視線を移すと、深く澄んだ緑色の鳥が目に止った。
 あまりの美しさに吸い込まれていくように立ちすくんでいると、いつのまにか消えてしまった。
 幻であったのであろうか?
「きれいな鳥ねぇ! 翡翠って」
「めったに見られるものではないのよ。今日は運がよかったわ」
 小林さんは、そう言いながら温かい笑みを浮かべた。
 あの鳥は空色だったのであろうか? 光線のかげんで緑色にも藍色にも見えたのだが、尾は短く長い嘴を天に向けて水辺の傍らにある低い木に止っていた。
 私は脳裏にきざみつけられた鳥のイメージを壊さないように、しばらく佇んでいると、ポンと肩を叩かれた。
 四、五人で吟行に来たのだが、さて、何人の人が翡翠を見ることができたのであろう。
 美しい鳥は、どうしてしばしば姿を見せないのであろうか。
 その日は小春日和で、ほのかなぬくもりのある日差しが、道沿いの葦の沼を照らしていた。
 カメラと三脚を担いだ二人づれの男性に出会った。にっこり笑って会釈をされたので、私たちの仲間の一人が、興奮気味に翡翠を見たことを話すと、
「僕たちもたまに見ますよ。いつもここへは来てますからね。写真をあげましょうか?」
 と、拍子抜けがするほど気安く、胸のポケットからいろいろの鳥の写真を取り出して、一人一人にくださった。
 こんな幸運な機会に恵まれてから私は、わが家の庭に来る鳥を注意深く眺めるようになった。
 スズメ、四十雀、ヒヨドリ、尾長などなど、鳥にうとい私でもようやく見分けることができるようになった。
 鳥が見たいばかりに、他人様の真似をして、夏蜜柑を真二つに切り、目線に合う木の枝にさして鳥の到来を待った。
 ところがある日、すさまじい鳥の鳴き声に目を見張ると、ヒヨドリが他の鳥を威喝している。羽ばたきが止んだと思ったら、みるみるうちに根こそぎみかんは、ヒヨドリが食べてしまった。それどころか千両、万両、南天の実にいたるまでなくなってしまった。
 恐ろしいほどの争奪戦にあきれ果てたわが夫婦はみかんをつるすのを止め、鳥がわが家の庭に訪れてくるのを気長に待つことにした。
「人間の社会と同じね。鳥の世界も不景気で、餌に飢えているのかしらね」
「そうかもしれないね。山にある木を切られるから」
 鳥にも性格があるのだ。弱肉強食とはよく言ったもので、おとなしい鳥は勝ち抜いてはいかれない。
 あるとき、つがいの尾長が来ていることに気づいた。よく見ていると、一羽が歩くと、二、三歩後をもう一羽がついてゆく。灰白の色に不思議なほど濁りがない。翼尾の大部分は、きれいな灰青色なのだ。いつも同じ尾長なのであろうか。みごとな夫婦愛を演じてくれる。この尾長の動きを見ていると、しばらくの間、やすらかな刻が流れていく。
 こんな静寂な世界に憧れるようになってから、私はつがいの尾長が来るが待ち遠しくなった。
 ある時、小林さんからバードウオッチングを勧められた。
「軽井沢にごいっしょに行きませんか? それはそれは素晴らしいの。外国の方もたくさん見えますよ」
「望遠鏡はどんなものを使うのですか」
「私がごいっしょに買いに行ってさしあげますよ」
 熱心にお誘いを受けて、私の夢はさらに膨らんだ。
 ある友にこのことを話したら、
「あなた、そんなに甘いものではないの。最初はね、レンズを回しているうちに、鳥が飛んでしまうのよ」
 と聞き、大笑いしたことがある。
 軽井沢行きは、小林さんが体調を崩されたことで実現は無理になってしまった。だが、私はときおり、窓辺から空を眺めていると、華麗な翡翠が、雲の間に通り過ぎていくような錯覚に襲われる。そして人柄のやさしい小林さんが早く元気になられるのを念じている。
 いつか二人で、望遠鏡をぶら下げて翡翠を探しながら、野山を歩いてみたい。