移ろう秋
                 羽田竹美


 今年(平成二十三年)は酷暑の夏で熱中症が一番気に
なった。知り合いの何人かがこれで体調を崩したと聞い
た。
 九月に入っても、毎日気温が三十四度を超える。例年なら残暑の中で咲き始めるカクトラノオのピンクの花も、硬くつぼみのままであった。
「この暑さ、いつまで続くのでしょうね」
 道で会う人たちは同じように言っては、汗を拭う。
 しかし、秋はひそやかにやって来ているようだった。水引草が、夕日に赤く映えている。シュウカイドウの薄紅色の花がこっそりと咲き出している。
 九月も半ばを過ぎて、やっとカクトラノオの花が咲き出し、門から庭に続く小道の両側をピンク色に染めた。夫が好きだった白萩が十日遅れて咲きだし、ようやく秋が来ていると目にも肌にも感じられるようになった。
 残暑の厳しい日もあるが、庭は秋の装いを確実に見せ始めていたのだ。オンブバッタがその名のとおり、大きなメスに小さなオスがおんぶしている。子孫を残すいとなみである。紫蘇の葉や、菊を食べてしまう憎らしいバッタだけれど、その姿を見るとなんとなくほほえましくて、つい見逃してしまう。そのうち、緑色のメスは褐色に変わり、卵を産み終えてエンディングへと向かう。
 彼岸花はどうしてお彼岸の時期がわかるのだろう。必ずこの頃になると、ニョキニョキ出てきて花を咲かせる。葉がないところに茎が伸び、急に花が咲くこれも不思議な植物である。 
「ハナシラズハシラズ」などという面白い名がついているというが、花と葉は永久に会うことがない。すれ違いのドラマ『君の名は』よりももっと悲劇的な植物である。
 少し前まで、彼岸花は私にとって悲しい花であった。
 娘の佐保が生まれて、二か月で胆道閉鎖症がみつかった。生まれたとき白い便をしていたし、ミルクを飲むとすぐ吐いてしまうことが多く、おかしいと思っていたが、病院では、
「ミルクで育つ赤ちゃんはこんなものです」
 と、取りあってくれなかった。
 二か月検診で長男のかかりつけの小児科の先生が異状だと気づき、すぐ大きな病院に入院したが、もう手遅れだった。それでもなんとかしたいと専門医を探し、順天堂病院で手術をお願いできた。転院する病院に向かうタクシーはお堀端を通る。丁度秋の彼岸のころであった。お堀の土手には真っ赤な彼岸花が群れていた。これから佐保が受ける手術で流される血の色に思えた。
「佐保ちゃん……」
 無心に眠る娘を抱きしめて、涙が頬をつたった。
 手術は成功したが、肝硬変がすすんでいて、小さな体には耐えられなかった。それから五か月目の厳寒の日に天国へと旅立っていった。
 実家の母がお地蔵様に、ひとりで旅立てない幼子をどうぞ守ってくださいと、祈ってくれた。父はどこから手に入れてきたのだろう、高さ二十センチほどの石のお地蔵様を、
「もっていけ」
 と、ぶっきらぼうに渡してくれた。愛情表現の下手だった父も幼い孫の旅立ちを心配してくれていたのだろう。
 あれから秋になって真っ赤な彼岸花が咲くと、いやおうも無く佐保の無念な死が思い出されて悲しかった。いっそ、抜いてしまおうかとも思った。
 しかし、花には罪はないのだ。葉が枯れてから球根を太らせ、夏の暑さを堪えて涼しくなったのを感知してからやっと茎を伸ばすのである。
 この健気な生命力を思えば、人間の身勝手さで抜いてしまうなんてことは力あるものの傲慢さとしか言いようがない。
 死の悲しさではなく今、佐保の命がこの花に変わって見せてくれているのかもしれない。そう思ったとたん、彼岸花は悲しい花から喜びの花に変わってきた。今年も残暑の中で、開花が待たれるのであった。
 秋は木や草、空、虫、小鳥たちにも様々に変化をよんでくる。
 夏の早朝に、「ピッピッピッ、ピッピッピッ」と囀っていたヒヨドリが、爽やかな秋日和に庭の八重桜の枝で、「ヒーヨヒーヨ」と甲高い声で鳴いている。少しすると、東側のマンションの梢から「ヒーヨヒーヨ」と答えるように声が返ってくる。オスとメスなのだろうか。
 柿の実にやってくる小鳥が賑やかになり、柿や桜の葉が日一日と色づいてくる。白木蓮のセピア色した大きな葉がバサッと落ちる音には驚かされる。
 十一月半ばになると、花壇に八十数個ものチューリップの球根を入れてもらう。足の不自由な私に出来ない作業を近所の友人が助けてくれるのだ。
 来春八重桜が咲くころ、花壇のチューリップやパンジーを見ごろにして花見客を歓迎する準備である。
 いつもは十一月末に真紅に色づいて庭の華となるハゼの木が、今年の夏が異常に暑く、いつまでも気温が下がらない秋だったせいか千秋楽のフィナーレに間に合わなかった。
 遅くやって来た秋、それでも少しずつ通り過ぎていった秋は、私の五感の糸を軽やかに揺らしながらやがて、冷たい冬に吸い込まれていく。
 白い山茶花の花びらが地面に散り敷き、寒椿の紅が冬
の到来を告げている。