喜びの魔法               
                    
羽田竹美 


 私は若いころ、児童文学を書いていた。空想を膨らませて楽しい物語を創作して遊んでいた。その中のいくつかが絵本や童話になり、書店に並んだ。『冬休みに先生が薦める本』と、新聞に紹介されると、ほとんどの図書館が購入してくれた。『課題図書』と大きく書かれた帯をつけて本屋さんに平積みされているのを見るとうれしくて、その辺にいる人に、
「これ、私が書いた本なんですよ」
 と、言いたくてうずうずしたあの日が懐かしい。
 大抵、私が作品を書くのは、夜の十時を回ってからであった。それは今も変わらない。
 児童文学を卒業して今は随筆を書いているが、
「夜十時を過ぎると、私は魔女になります」
 と、友人たちに言っている。十時過ぎの携帯メールに、
「もう魔女さんになられたでしょうか?」
 という文章が入ってくる。私はついつい乗せられて、
「はい、今日はどんな魔法を使おうかしらと、わくわくしております」
 と、返事をしてしまう。
 夏の終わりになると、我が庭のブドウが黒く熟す。それを採ってジャムにする。魔女の時間になるころから始めるのだ。煮たブドウをこして、皮と種を取り除き、こした果肉に砂糖を加えながら、木杓子でかき回しながら煮詰めるが、ここで魔法を使うのだ。
 呪文を唱えながら、何時間も焦がさないようにアクを取りながら煮詰める。夜がしらじらと明けるころ、アメジスト色のブドウジャムが出来上がる。それを煮沸した瓶に詰めて魔女印のラベルを貼って友人たちに発送するのだ。
 魔女印はブドウ色をした魔女が箒に乗って空を飛んでいる手作りのロゴマークだ。たくさんカラーコピーして作ってある。
 そして、これを差し上げたどの友人たちも喜んでくれるというのも魔法なのである。よって、私は「喜びの魔法を使う魔女」と、自分で勝手にネーミングしている。この喜びの魔法は種になるものは夜の十時過ぎに作られるが、それを芽生えさせるのは時間も季節も関係ない。
 魔女誕生には長い歴史があったのである。私は生まれたときから股関節に異常があり、これによって何回も手術をしている。小学校に上がるころには歩けなかった。母が弟と私を乳母車に乗せて毎日学校に連れて行ってくれた。みんなと同じに動けないのに何故か、私は悲しい思いをしたことがなかった。まわりの人たちがやさしかったからなのだろう。
 音楽の時間に、
「ひとりで歌える人は手をあげて」
 という先生の言葉に、
「はーい」
 真っ先に手をあげたのは私だったそうだ。一番後ろの席に座ったまま、大きな声で歌ったという。他の子どもたちは、さされて先生のオルガンの側で恥ずかしそうに歌ったそうなのだが・・。
 学校は毎日楽しかった。先生も友達も大好きだった。
 こんなことが喜びの魔法を作る下地になっていたのだ。歴史はこうして作られ、二年生で足が治ったと言われてからは、それはそれは活発におてんばぶりを発揮した。木登りはもちろんのこと、木から塀に移り、バランスを取りながら塀の上を歩いて近所の遊び仲間の男の子の家に行った。
 遊び仲間は子どもばかりでなく近所の犬やおばさんたちも入っていた。シェパード犬のエルは、私が行くとちぎれんばかりに尻尾をふって迎えてくれた。
 裏の家のおばさんは静かな方だったが、ときどき「お・ば・さん」と、垣根から覗くと、手招きしてくれた。少しお話してお菓子をもらい、帰ってくるのだった。近所のどのおばさんもやさしくて大好きだった。ここでも喜びの魔法は少しずつ力を太らせていたのかもしれない。  高一になったとき、股関節に痛みが出て手術した。手術後の苦しいときもあったが、元気になると、お部屋の人や付き添いさんと毎日笑って過ごした。歩けるようになると、消灯後こっそり看護婦室に行って、先生や看護婦さんたちと焼き芋やラーメンを食べたのも懐かしい思い出だ。あんなのんびりした時代があったのだ。他の病室の患者さんたちとも友達になり、十か月余りの入院は楽しい日々だった。その後、股関節は完治したと言われ、大学時代には山登りもしたし、スキー、スケート、ダンスにと、青春時代を謳歌した。
 この股関節疾患が私の喜びの魔法の基になっていると気づいたのは、結婚後再び壊れた股関節のために入院、手術を余儀なくされた後だった。私はそこで、自分のこの痛みを他人のために何かをする喜びの魔法に変える術を習得した。股関節症の患者会である『のぞみ会』の運営委員になり、全国からかかってくる電話相談に応えるボランティアを十年やった。悲痛な声で電話してきた人に、病院やドクターの情報に加えて私の手術体験や術前は痛くて眠れなかったけれど、今はよくなったと話す。すると、泣いていた人が明るい声に変わり、電話してよかった、と言ってくれるのがうれしかった。
 私の魔法はたくさんの苦しみや悲しみや、人の優しさの中から生まれてきたものなのだろう。
 もう四十年近く前、娘の佐保が胆道閉鎖症という病気で命を閉じたときも、それから二十年ほど経って夫が苦しい闘病の末に帰らぬ人になったときも悲しみが全てを覆い尽くした。
 しかし、あの喜びの魔法に培われた心は、悲しさを払いのける力があったようだ。この悲しさや痛みをプラスに変えようと考えたとき、もともとお節介の性格が効を奏した。 
 夫の通院のために取った免許が役立ち、足の不自由な人たちのプールへの送り迎えができた。世田谷区のプール施設を使って、のぞみ会の人たちの水中リハビリの会を四つ作り、知り合いのインストラクターに指導をお願いした。やる仕事が多くなりのぞみ会を退会した今も、股関節症の友達との付き合いは続いている。娘や夫を亡くしているから同じ体験を持つ人たちの痛みがわかるような気がする。心を開いてくれる人たちの話し相手になれる喜びを感謝している。
 先日面白いことに気づいた。夜中にトイレに行こうとベッドを下りて出口に向かおうとしたところで急に眩暈(めまい)がしてバランスを崩した。私の部屋は狭い上に箪笥(たんす)がいくつも置いてある。慌てて箪笥にしがみついて事なきをえた。これが広い部屋で、何もつかまるところがなかったら、間違いなく倒れていただろう。倒れたら骨折したかもしれない。
「あー、お城のお姫様でなくてよかった」
 ひとりで大声を出し、笑ってしまった。
「やっぱり私は魔女、これも喜びの魔法!」
 夜中にひとり言(ご)ちする私を、誰かが見たら、ぞーっとするのではないだろうか。
 今宵も十時を過ぎて魔女になり、喜びの種をせっせと作り、人を喜ばす魔法をどこで使おうかと考えている。