夜の救急騒ぎ
            水品彦平


 越後の晩秋ともなると冷え込みがかなり厳しくなる。そんなある日のこと、
「お父さん、夕飯よ」
 たしか夕方六時ごろだと思うが、妻の声に立ち上がって部屋を出ようとした。その時ふいにめまいがしてよろけてしまった。同時に吐き気のような不快な気分が体全体を襲ってきた。頭がふらふらする。立っていられないほど目が回る。ついその場にうずくまってしまった。
「どうしたの?」
 いつまでもわたしが顔を出さないので、不審に思った妻が台所から跳んできた。わたしの肩に手を添えながらしゃがんで覗き込む。わたしのただならぬ様子に妻はあわてだし、
「すぐ救急車呼ぶね」
 という。わたしもあわてて、
「ちょっと待ってくれ、様子を見てからにしてくれ」
 と、強い調子で止める。救急車は近所の人目があるからと、つい逡巡してしまったのである。意識の上ではそれだけ余裕があったということかもしれない。
「うーん、それじゃ取りあえず、静かに横になっててね」
 と、妻はわたしを横たえると、すぐに長野にいる長女に電話を入れた。
「やはり、しばらく寝たら病院へ行った方がいいって」
 携帯電話を持ったまま、長女の言葉をわたしに伝える妻の顔はひきつっていた。
 脳がやられたのだろうか。クモ膜下出血とか、脳梗塞とか、それとも脳卒中? いろんな病名が頭をかけめぐる。これまで感じたことのない心もとなさに、
「もうこれで終わりなんだろうか」
 と、強い不安にかられてしまう。これで死ぬとは思いたくないが、この得体の知れない気分の悪さは一向に去らない。
 午後十時過ぎになって病院に行くことにした。夜の救急外来である。救急車は大げさになるのでタクシーを呼んだ。妻の付き添いで病院に入った。
 病院の中は薄暗くひんやりした感じだった。診察室では、中年の女性看護師が待機していたように手際よく応じてくれた。
「お名前は? いつからどこが? どのように具合が悪いんですか?」
 てきぱきと問いかけてきつつも、その声にはいたわりとやさしさがこもっている。
 間もなくやってきた若い医師も、問診は要領よく真剣であった。わたしも真剣に答えた。そして取りあえず、
「先ず血液を採ります。CTも撮ってみますか?」「はい、お願いします」
 ということになった。
 血液とCTが終わると、今度は一時間くらいの点滴であった。横になって安静にしているとウトウトしてしまった。
「血液もCTも異常ないです。耳で当院に通院しているようですから、明日、耳鼻科でも診てもらってください」
 気がつくと、ベッドの傍らには先ほどの若い医師が立って、前髪を右手でかき上げながら静かに丁寧に説明していた。
何はともあれ、ひとまずホッとして帰ってきた。めまいもすでに落ち着いていた。
 翌日、耳鼻科で診てもらったら異常はないという。ついでに脳外科でも診てもらったが、やはり脳ではないという。
 それから二、三日して自分の部屋で過ごしていたら、また少しめまいがしてきた。そこで気がついた。
 一酸化炭素中毒ではないか。そういえば五、六年前にも、一度具合が悪くなったことがあった。古いストーブから新しいヒーターに変えたから、もう心配ないと思っていたのだが、換気もろくにせず部屋に長時間こもっていたのではガスが充満する。
 医学事典を引くと、病状や原因が一酸化炭素中毒とピタリ一致した。でも疲れ、ストレス、不眠、自律神経といった見方もあるから素人判断はできない。だがひとまず、
『なあんだ、そうだったのか』
 と、内心安堵した。そしたら、夜間救急にまで来て大騒ぎしたことが何とも恥ずかしくなった。