予測できない雨
                  
石川 のり子

 土砂降りの音で目が覚めた。ベッドから上半身を起こし、枕元の時計を見ると、十二時十分前である。
 寝入り端(ばな)だったのにと、恨めしく思いながら、激しい雨音を響かせる天井を見上げた。一年前に屋根の葺(ふ)き替えをしたばかりなので、雨漏りはしていない。
 就寝前に、テレビの気象予報官が、大気が不安定になるため、所によっては夜から朝にかけて、激しい雨か雷雨があるかもしれない、と注意を呼びかけていた。それに応えて、懐中電灯だけは二つ、ベッド横の机に並べておいた。
 住宅地だから土砂崩れの心配はない。ただ利根川の増水だが、毎日犬と散歩している堤防は、簡単に崩れそうには見えない。よほどの集中豪雨にならない限り、大丈夫だろう。
 心配していても仕方がないので、また横になった。目を閉じて、滝の流れ落ちるような雨音を耳にしていると、新幹線の車両に閉じ込められた不安感が蘇ってきた。
 もう十年も前の出来事なのに、強烈な体験は事あるごとに、脳裏に浮かんでくる。
 当時、長女一家は、転勤で京都に住んでいた。引っ越して間もないころで、一歳十か月になる孫が高熱を出して、看病疲れの娘から、「パパは出張で、心細い」と、助けを求める電話がかかってきた。初めての地方暮らしを心配していた私は、夫の許可を得て、小田原駅から新幹線に飛び乗って、京都へ向かった。
 孫は青白い顔をしていたが、薬の効き目か平熱になっていた。私の顔を見ると、弱々しく微笑んで、遊んでいたミニカーを手渡してくれた。
 娘は一人前に主婦業をこなしているようで、少しスリムになっていた。孫が快方に向かい、落ち着いたので、社宅で一泊した翌日の午後、京都駅から東京行きの「ひかり」に乗った。
 時間どおり順調に発車したのに、列車は徐々に速度が落ち、とうとう停車してしまった。予想もしていなかったが、京都では小降りだった雨が、窓ガラスにバケツの水をひっくり返したような勢いでぶち当たり、外は全然見えない状態になっていた。
 しばらくして車掌のアナウンスで、川の水位が危険状態になっているので、運転を見合わせることになったと知らされた。前席の中年男性が、
「冗談じゃないよ。まだ米原駅にも着いていないのに!」
 と、ぼやいた。思いは皆同じだ。席を立って携帯電話をかける人で通路は混雑し、苛立って声を張り上げている人もいて、日曜日のほぼ満席状態の車内は、騒然となった。携帯を持っていなかった私は、公衆電話から長女に電話し、夫への連絡を頼んだ。
 九時間後の午前二時ごろ、ようやく「ひかり」は岐阜羽島駅にたどり着いた。何本も並んで停車している電車に、板で橋渡しをしてもらってホームに降り、いちばんホーム寄りの電車に乗り換えた。停電で中は暗かったが、座席を一つ見つけて座った。仮眠をとりたいと目を閉じたが眠れなかった。
 朝になって十五時間ぶりに駅弁を食べた。駅のテレビを見て、堤防が決壊して、住民が避難していることがわかった。その後、雨は止んでいたのに、琵琶湖の変電所が冠水し、復旧に時間がかかり、ようやく動き出したのは、京都を発ってから二十二時間後だった。
 途中、名古屋近郊の水没した田畑、ゴムボートで避難している人々を目にして、自然災害の恐ろしさで胸が痛んだ。私は新幹線の中に閉じ込められていたが、身の危険を感じたわけではないのだから、愚痴を言うのはよそうと、そのありさまを見て痛感した。

 いつしか屋根を打つ雨音は小さくなっていた。これでひとまず安心だ。退散していた睡魔がおそってきた。
 今年は大気が不安定で、急な豪雨が多い。ゲリラ豪雨と言うそうだが、突然の大雨は所かまわず被害をもたらした。裏山が崩れ、土砂が家を押し流し、住人が亡くなったという悲しい事故もあった。
 先日は、東京二十三区でも猛烈な雨が降り、床下浸水や停電などがあり、一時、電車も新幹線も止まった。私は東京に出て友人に会っていたのだが、空模様があやしくなってきたので、常磐線が止まっては困ると事情を説明して、早々に帰宅した。家に着いたとたん、大粒の雨が降ってきた。
 豪雨は人々の暮らしを脅かし、楽しみにしていた花火大会なども中止に追い込んでいる。温暖化への警鐘として謙虚に受け止めるべきだろう。
 六年ほど前に、熊谷市(埼玉県)と多治見市(岐阜県)で四〇・九度を記録したと報道されていた。そして今年、この二市を抜いて、四万十市(高知県)が四一・〇度となり、日本一になったという。四一度なんて、高熱を出した体温である。高齢者の仲間入りをした私には、それを聞いただけで具合が悪くなりそうである。
 報道によると、フィリピン近海の海水温が熱くなると、上昇気流が起こって、昇った空気が日本列島付近に降りてくる。これが太平洋高気圧を強める。太平洋高気圧が強いと日本は暑くなりやすいとのことである。
 豪雨の原因が猛暑であることは、以前から言われていた。一昔前までは、こんなに暑くはなかったと、つい愚痴ってしまうが、テレビの天気予報図では、細長い日本列島のほとんどが三〇度以上で、真っ赤である。
 日本列島は、東日本大震災の被害、ゲリラ豪雨による被害、所によっての渇水で、満身創痍の状態になっているのではないだろうか。雨はゲリラと呼ばれるような極端な降り方ではなく、平均的に渇水の地をも潤してほしいと、願わずにはいられない。と同時に、私たちは地球にやさしい暮らし方をしなければいけないと、実感している。