雪降る大晦日の夜
          水品 彦平


 年取りの慣わしを兼ねた大晦日の夕飯の時、
「ねぇ、このごろお父さんのところへは年賀はがきってどれぐらい届いているの?」
 と、夫と泊まりに来ている長女が聞いてきた。
「そうだな、去年は百二十枚ぐらいだったかな。今年もそれぐらいだろう」
 と、答えると、
「ふうん、ちょっと少なくなってきているんじゃない?」
「ちょっとどころか、現役時代の四分の一ぐらいだよ」
「へぇ、さみしいね」
「いや、そんなことないよ。退職すればみんなこんなもんじゃだろう。それに、年々亡くなる人も増えているからね」
 昨年一年間で死亡通知を十二、三枚もらった。みんな知人である。六十八歳のわたしよりも年配の人が多いが、中には年下の人も何人かいる。わたしもそろそろ黄泉の世界への領域に入ったということなのだろうか。改めて思い返せば、かなりショックではある。年々歳をとるから、自分も間違いなく初老から高齢者へと辿っていく過程にあるのは分かっていたが、まさかこの自分が「死の領域」に入ってきているという実感はこれまでなかった。それが、死亡通知が多くなってきたことで否応なく思い知らされて来たという感じである。
 そういえば、昨年の年賀はがきの中には、
「そろそろ書くのがおっくうになってきました。今年をもって失礼させていただきます」
 という添え書きも、数枚あったような気がする。わたしもいつか、こういう添え書きの年賀はがきを出すようになるのだろうか。
 「信じられないなあ。自分にかぎって」
 と、心底から思っている。まだまだやりたいことが山ほどある。それとも、わたしもそろそろこころ密かに準備をしなければならないというのだろうか。でもなあ、いまから「死の領域」だなんてなあ……。
 お茶の間では、家族で「紅白歌合戦」を見ていた。この時間帯でみんな見るにはいちばん差し障りのない番組なのであろう。途中のニュースが終わると、わたしは自分の部屋に入った。そして、ネットや本を見たりした。
 やがて、テレビから十一時の時報が聞こえてきた。近所のどこの家も静かである。ふだんから、わたしの家の前の道路は遠くまで車の行き交う音がするが、今はそれさえも聞こえない。朝から降り止まない雪が、さらに音を吸収しているのかもしれない。ただ、シーンとしている。その静寂さに吸い込まれるように、わたしの意識もまどろんでいって……。

「ボォーッ」
 まどろみの中に聞こえる音は、川向こうの山沿いに走る飯山線の蒸気機関車か。しばらくするうちにその音は、いつか遠く宇宙の彼方へ走るロマンのかおりの漂う汽笛に聞こえる。気がつけば、どうやらわたしもその汽車に乗っているようだ。すると、この汽車は、あの世への旅立ちなのかも知れない。
「なるほど、これが死への迎えの乗り物なのだな」
 妙にこころの安らぐ気持ちだった。恐れはない。不安もない。未練もない。身を任せてこのまま静かに乗っていよう……。

「ゴォ〜ン、ゴォ〜ン」
 強弱のついた強い鐘の音に我に返った。ときおり大きかったり小さかったり、遠くから聞こえてきたり近くから響いてくる音は、先ほどの眠気を誘う音とは違う。耳にした音は除夜の鐘の音だった。その鐘の音が夜のしじまの中に鳴り響いているのだった。考えてみれば、今はすでに蒸気機関車など走ってはいない。
「そうか、年が明けるのか」
 そう呟きながらガラス戸を引くと、冷たい空気が部屋の中に勢いよく入り込んできて思わず身震いした。外には深い暗闇がすべてを呑み込むように広がっていた。ただ、部屋の光に照らし出された雪がさらに白く浮かび上がり、音もなく、切りもなく、静かに舞い降りていた。
       (二十三・一・二十)