雪 の 日
                海老原 英子

 今年は,一月中旬ごろから週末になると雪が降り今朝も雪になった。
 あいにく、午後から新年会が横浜の中華街で行われる予定になっているので、朝から電車の遅延や運行情報を気にしていた。
 天気予報によると、午後から雨になるということだったが、風も出てきて吹雪になってきた。家の前の道路には10センチ以上の雪が積もり、チェーンを巻かないと車が走れないほどになっている。これでは、時間をかけて行くことはできても、帰りが心配である。
 新年会は欠席することにしようと、決めたものの、数日前から、久しぶりに会う友人と、美味しい薬膳料理を食べながら談笑するのを楽しみにしていたので、雪さえ降らなければと残念でならない。このように足を奪われて身動きができないのは困るが、私は雪の日が大好きなのだ。
 故郷の新潟県を離れて、雪のほとんど降らない神奈川県に住んで四十年以上になるが、雪のない冬はさびしい。年に二、三回しか見られない真っ白な景色がいとおしく、少しでも長く観賞したい、と願っているほどだ。
 今朝も、雪が止んだら雪かきをしようと、数日前に買った専用のシャベルを用意した。
 炬燵(こたつ)に入って年賀状の整理を終え読書を始めたが、いっこうに小降りになるようすはない。階下の孫たちも、パソコンゲームをしながら雪の止むのを待っていたようだが、待ちきれなくなってママの制止を振り切って、庭に出て遊び始めた。
 その賑やかな声に誘われて玄関に出てみると、家の中で眺めているより小降りになっている。早速、ジャンパーに帽子、手袋、ゴム長靴と、完全防備でシャベルを手に家の前の道路に立った。
 隣家は老夫婦だけで、ご主人は昨年の春に心臓の手術をしたばかりである。私は隣家の分も買って出て約30メートルの雪かきをすることにした。
 長靴で新雪をゆっくり踏みしめて歩くと、子どものころ慣れ親しんだ雪のきしむ音が、私の心に快く響く。
 家の端から道路の雪を塀川に寄せていく。まったく機械的に手足を動かす作業だが、雪は重いので力のいる仕事である。
 この辺では、雪かきは男性の仕事と決まっているようで、還暦を過ぎた私がしているとみんな驚く。だから、できるだけ短時間で終わらせようと、気忙しく手を動かす。
 十分も経つと顔が火照りだし、息切れがし、背中に汗が滲んできた。まだ始めたばかりなのに、帽子とジャンパーを脱ぎ一休みする。見ると五メートルも進んでいない。
 子どものころ、新潟の積雪量は現在の四、五倍はあった。一晩で1メートルくらいの雪が降ることもあり、翌朝は、一家揃って道つけや屋根の雪下ろしをしなければならなかった。両親はゆっくりとシャベルを動かし、無駄な力を使わず、一回一回ブランコを揺するような仕草でしていた。私はそのコツを思い出した。
 別に急いですることもないし、できるところまででいいのだと考え直すと、気持ちが楽になった。
 私は無心で雪かきを続けた。隣家の前の道路の半分くらいまできたとき、シャベルの音を聞きつけてご主人が出てこられた。そして、
「いつもすみません。ありがとう」
 と、頭を下げられた。
「雪国育ちなので、楽しみながらしていますから……」
 私はシャベルの手を止めて笑顔を向けた。彼の感謝のことばで疲れが和らぎ、親近感をもった。自衛隊に勤務されていたころは、厳格な顔をしておられたのに、年を経るごとに柔和になられた。昨年、三十三回忌を終えた父の姿を彷彿とさせた。
 雪かきは一時間ほどで終わった。
 さすがに疲れた。濡れた服を着替え、炬燵で飲むコーヒーの味は格別だった。窓の外はどんよりとした空から止めどなく小雪が舞い落ちてくる。それを見つめていると、自分もその空間に吸いこまれ、雪といっしょに舞っているような錯覚に捉われてしまう。
 いつしか睡魔が襲ってきた。横になると故郷の風景が脳裏に浮かんだ。
 見渡す限りの雪野原、田圃も川も木々も家々も雪の下にすっぽり隠れている。緩やかにカーブを描いた一本の細い道筋が、村と村とを結んでいる。風邪をひいた私は、スキーをつけた父の背中で降りしきる雪を見ていた。父は徒歩で一時間半もかかる医院まで、田圃や川の上をスキーで連れて行ってくれた。注射器を持つ医者を見て怖くなって逃げ出そうとしたが、足が動かない。恐怖で心臓が飛び出しそうになった。
「ああ……」
 自分の叫ぶ声で目が覚めた。
 窓の外を見ると、西の空が明るくなって、夕日をうけた小雪がオレンジ色に輝きながら舞い散っていた。