夢でありたし        
             福谷 美那子

 ある日、テレビでこんな番組を見た。
 それは、「五万円の費用で初恋の人を捜します」と、いうキャッチフレーズだった。
 依頼人は後ろ姿だけしか映さず、調査人はあたかも語り部のように、
「お元気でおられましたよ。お宅様のことよく覚えていらして、涙ぐんでおられました。『くれぐれもよろしく』とのことです」
「会えないのでしょうか?」 
 依頼人はくい入るように、初恋の人の詳細を聞いている。そのようすがなぜか哀れに見えてならなかった。
 すでに、恋人が亡くなっている場合もあった。果たして存在を確かめることが、当人にとって幸せであるかどうか、その画面を見ている私の心情は複雑であった。
 すでに五年前になる。私は五十年ぶりに初恋の人から手紙をもらった。

 美那子ちゃん! 金沢文庫の家で手紙を整理していたら、あなたの手紙が見つかりました。母が取っておいてくれたのだと思います。今、母が老人ホームに入っているので、一年に二度ドイツから日本へ帰って来ます。これから美那子ちゃんの住所をリストに入れます。
 
 懐かしいTさんの優しい文字に私の胸は昂ぶり、しばらく放心状態に浸っていた。
「美那子ちゃん!」と呼ばれて、急いで振り返った私はすでに老人であるのに、ほのぼのと頬はほてっていた。
 
 私が十六歳のクリスマス聖夜、教会の薪ストーブを囲みながら聖歌を唄ったとき、隣に座っていたのが彼であった。青白い顔で、一見とても華奢な青年に思えるのだが、静かな口調の中に、なにか光るものがあった。ふと気づくと、彼のもつ翳りに寂しさが感じられた。私の心の琴線が彼の心の琴線に触れたのであろうか。幼い私は勝手にそう思い込んだのかもしれない。
 その集まりで、互いに交した会話は、
「私のしている襟巻き、どこの国の襟巻きだか知っていますか?」
 と、私が彼の顔を覗くと、
「ステンカラジー?」
 その奇妙な答えに、
「ルーマニアよ」
 と、言いながらともに大笑いをした。
 次に思い出される光景がある。
 ある初秋の夕暮れ、聖堂の灯りが一つだけぼんやり見える教会の庭に彼が立っていた。
 紫がかった学生服が妙に印象的であった。
 私は半袖の芥子色のブラウスを着ていた。
 私は初めて彼に手紙を出した直後だったので、審判を下される罪人のように落ち着かなかった。
「これ、手紙の返事です」
 彼から四つに畳んだレポート用紙を渡された。薄暗い街灯の下で開いてみると、そこには簡潔に、
「あなたは良い人なのですが、ボクはあなたに恋愛感情を感じることができないのです」
 と、記されてあった。
 彼にはすでに好きな女性がいると、噂に聞いてはいたものの、私はどうしても自分の気持ちを伝えたかったのだ。
 私はその晩、一人で泣いた。幼子のように悲しみ、思い直す気力を失ってしまった。
 身近に感じていた彼が、はるか彼方に行ってしまい、私を見つめている彼の眼差しは冷たかった。
 五十年ぶりにいただいた手紙を読んでいくと、自分の心の裡(うち)にある固い柘榴が、突然、熟れて弾けたような戸惑いを覚えた。
 夢のままでありたかった。「五十年の歳月が流れているのだから……」と心に問うても、小さなわだかまりをどうすることもできなかった。
 しかし一方、ささやかな心のつながりで、いつでも互いの間に休息できる場所を持つことができるのならと、考え直してみた。
 遠い日のことは夢として、風船のように空に飛ばしてしまおう。山なみの向こうに静かな村があるのかもしれないし……。
 
 T氏はドイツのオッフェンブルグ、黒い森の近くに住んでいる。ドイツ人の女性との結婚に破れ、現在は音楽家の日本人の奥さんと平穏に暮らしておられる。
 一昨年、ドイツへ夫ともどもお招きいただいた。菩提樹のみどりが美しい五月、ストラスブールに案内してくださった。ここには、「ラ・プティト・フランス(小さいフランス)」と言われる木組みの家が多くある一画がある。イル川が流れ、笑顔の客を乗せた遊覧船が走っていた。  
 川辺の丸いテーブルに並んで座った。川が波立つと、私たちも揺れているような錯覚に陥った。
「美那子さん、覚えていますか? あなたの襟巻きをステンカラジーなんて言ってしまったこと」
「ルーマニアの襟巻きのことですね」
 思わず笑いがこみ上げてきた。
 その日は、川も空もガラスのように澄んで、ときおりの風にイル川の波が、こまかい模様を編んでいた。