夢を売る店
           角 千鶴

 山陽本線の〈岩国〉と〈広島〉駅のあいだを、上京のたびごとに行き来する生活がはじまって、ふた月になる。
 走り過ぎる風景も、さすがにこのごろは見慣れてきたが、はじめのうちは、窓に額をすりつけるようにして眺めていた。
 岩国駅から広島に向かって走る電車は、ふたつめの〈玖波(くば)〉という駅を過ぎると、短いトンネルに入る。トンネルを二つ過ぎると、右窓の視界いっぱいに、青い瀬戸内海が広がる。さらに少し走り、安芸の宮島で知られている厳島が姿を見せはじめるころ、電車の窓枠の中に海を背景にした一軒の西洋館がとび込んでくる。
 灰色のスレートの屋根に赤茶色の化粧煉瓦の壁、白い木枠の窓には鎧(よろい)戸がついている。グリムかアンデルセン童話の中にでも出てきそうな、可愛らしい家だ。
 建っている場所が、まだ天下一品ときている。電車に平行に走る国道から、少し海につき出た小さな半島のような場所がある。そこへ、玄関を瀬戸内海と向かい合わせ、厳島を左手に見るような配置でこの家は建てられているのだ。まわりは広々としていて、この一角だけはアメリカあたりの郊外の住宅地といった感じがする。
 それは、何度めかに通ったときだった。
 この家の側壁の上の方に、横に細長い板が打ちつけてあるのに、私は初めて気がついた。そこには、
〈子供の本専門店 ピーターハウス〉
 と、書かれてあった。
 本屋さんだったとは、想像も及ばなかった。
 どう見ても、店とは思えないこの家を、私は近くまで行ってたしかめてみたくなった。
 数日後、私は広島県の地図を広げてみて、ピーターハウスのある場所の見当をつけてみた。どうやら大野町という町のあたりらしい。
 電話局に問い合わせて調べてもらった番号で、私はピーターハウスへ電話をかけて道順を尋ねた。
「〈玖波〉の次の〈大野浦〉駅から、タクシーでおいでください」
 そう店の人は教えてくれた。
 小さな子どもがいるわけでもないのに、タクシーに乗ってまで、と思いはしたが、建物の魅力は、それに充分あたいするように思われた。
〈大野浦〉の駅舎の片隅には、真っ赤な彼岸花が咲いていた。人影はなく、ひなびてひっそりした駅だった。バスの便がないところなのか、タクシーが二台、客待ちをしていた。
 国道に出た車は、ものの五分ほどで、目ざす赤い家の前に止まった。
 タクシーを降りた私は、初秋の瀬戸内海に向かって、ひとつ深呼吸をした。十歳ぐらいの男の子が、岸壁から釣り糸をたれている。
 私は、看板も、表札もない玄関の白いドアのノブに、ためらいながら手をかけた。
 ドアをあけると、沓(くつ)脱ぎになっており、〈熊のプー〉のスリッパが揃えてあった。床は木目の浮いたフロアになっていた。
 玄関を中心に、右側の方が単行本、左半分には絵本が置かれてある。絵本のコーナーには低いテーブルがあり、数冊の絵本が、表紙が見やすいようにしてひろげられてあった。
 ざっと見渡してみると、高校生が読むような文学書や哲学の入門書、それに幼児の母親のための本もそろえてある。雑誌や漫画本は見当たらない。本屋さんというよりは、小さな図書室といった雰囲気である。
 特別に飾りたててあるわけではないのに、ほんのり甘い空気に包まれるのは、やさしい心くばりが隅々までゆき届いているせいだろう。
 口こみで来るのだろうか、二組ほどの親子づれが、静かに本に目を落としていた。若い母親が連れの夫に、小声でなつかしそうにささやいているのが聞こえてきた。
 絵本の棚を目で追っていたら、皇后さまの著作の絵本『はじめてのやまのぼり』と、まど・みちお氏の詩を英訳された〈THE ANIMALS〉『どうぶつたち』に出合った。
 目新しい絵本にまざって、かつて私も子どもたちに読み聞かせた『機関車ちゅうちゅう』や『三匹のくま』などがあった。三十年という歳月を経ても昔のままの装丁で並んでいたので、私は嬉しくなってしまい、時のたつのも忘れるほど楽しんだ。
 店をあずかっている二人の女性は、どうやら母娘(おやこ)のようだった。きびきびと本の整理するお母さんも、フリルのついたエプロン姿で働くおっとりとしたお嬢さんも好ましかった。
 私はたくさんの絵本の中から、色彩の美しい一冊の『イソップ物語』を求めることにした。私が差し出した絵本を包んでいたレジのお嬢さんは、ちょっと手の動きを止めて顔をあげると私に、読み語りをなさるのですか、と問いかけた。
 それが話の糸口となり、私は、この店には学校の先生方や保母さんたちが、よく読み語りのための本を求めにくるということを知った。また、中国自動車道路ができてからはこの国道を使う人が減り、以前より家族づれでみえる方が少なくなったということもーー。
 得がたい自然の環境の中に建てられたこの店は、商売としては決して地の利がよいとはいえまい。しかし、オーソドックスな本を選ぶことに徹し、子どもにほんとうの夢を与えようとする経営者の心は、人々に充分に受け止められているのだろう。開店して、すでに七年がたっていると聞いた。
 遠くから見て心をひかれ、近くに寄れば大人の郷愁も誘うこの「家(みせ)」で、私はたっぷり夢を買って外に出た。
 やわらかい初秋の夕日が入り江をおおっていた。岸壁には、釣り糸だけが残されて、少年の姿はなかった。